
心を閉ざした冷徹社長が期間限定の契約妻を一途に溺愛するまで
著者:まつやちかこ
イラスト:カトーナオ
発売日:2026年 6月26日
定価:750円+税
花岡紗月は鎌倉にある小さな花屋『フラワーショップはなおか』を営んでいる。
母を亡くして以来、父と二人で店を守ってきた紗月だが、父の病気によって経営は悪化していた――。
店の存続が危ぶまれる中、銀行でも追加融資を断られ、絶望的な気持ちに沈む紗月の前に現れたのは……。
不動産会社『篠宮エステート』の社長・篠宮怜司だった!
怜司は自身の家の事情から、株主総会までの間だけ安定した家庭の体裁が必要だと紗月に語る。
そして、彼女に期間限定の契約結婚を提案してきて――!?
店の存続と父の治療費のため、紗月は覚悟を決め、その申し出を受け入れることに。
だが、契約には夜の営みについても触れられていて……。
「隠さなくていい」
こうして甘い愛撫に溺れながらも、互いに事情を抱えた二人の契約結婚が始まるのだが――?
【人物紹介】
花岡紗月(はなおか さつき)
生花店『フラワーショップはなおか』の店主代理。28歳。
おっとりしていて、誰にでも優しい性格だが、芯の強さも持ち合わせている。
母が病で亡くなって以降、父と二人で店を切り盛りしてきたが、経営困難に直面しており――?
篠宮怜司(しのみや れいじ)
不動産会社『篠宮エステート株式会社』社長。35歳。
仕事においては、理詰めで冷徹な考え方と態度を取り、周囲には情のない人間と思われている。
一方で、心を傾けた相手には人一倍、執着心と独占欲を向けることも。
紗月に期間限定の契約結婚を持ちかけてくるのだが……?
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【試し読み】
怜司が帰宅したのは、二十一時を少し回った頃だった。
コートを脱ぐ音、鍵を置く音。
すべてが丁寧で静かで、逆に、耳に響いてくる。
「遅くなってすみません」
「いえ」
そのやり取りだけで、部屋の空気が張りつめたように感じた。
怜司の視線が一度だけ、紗月の顔を確かめるように留まる。
そこに感情は読み取れないのに、なぜか鼓動が速くなってくる。
あまり、夕食をしっかり食べる気分にはなれなかった。軽めの量で済ませ、片づけ終えた頃。
怜司がおもむろに、ソファから立ち上がった。
「今日は」
言いかけて、怜司は言葉を区切る。
その、作られた「間」に、紗月の身体が勝手にこわばる。
足元が不安定になるような、おぼつかない感覚がした。
「今日は、夫婦としての初夜にします」
感情を切り落としたような口調。その奥にかすかな揺れがあるように思ったのは、気のせいだろうか。
おずおずと紗月はうなずく。喉がうまく動かず、返事は声にならない。
「あくまでも形式上です。どうしても無理に、とは言いませんが――」
「わかっています」
彼がそれ以上続ける前に、紗月はそう答えた。
逃げてはならない、と自分に言い聞かせるために。
もう「選ばれない側」にはなりたくなかった。たとえこの男(ひと)でなくても。
「……シャワー、先に浴びてきます。終わったら、寝室に来てください」
その言葉に、反射的にまた身体がこわばる。
逃げるわけにはいかない。
ただひたすらに念じて、怜司が浴室を出た後、紗月はシャワーを浴びる。
パジャマを着て寝室に入ると、間接照明が落とされていて、空気は一段と静かに感じた。
ベッドに腰かけた怜司は、トレーナーとトレーニングズボン姿だった。紗月の姿を認めて、ゆっくりと立ち上がる。
その動きを紗月は直視できず、視線を伏せた。
握りしめた指先が冷たい。身体が熱を持つより先に、ざらつくような緊張に支配される。
「怖いですか」
不意に、低い声が落ちてきた。
その声音ににじむ気遣いに、ふと、緊張がわずかばかり緩む。
「……少し」
正直に答えると、怜司が口をつぐむ気配がした。
一拍、二拍。
その沈黙に、責める意図がないとわかるまでには、さらに時間がかかった。
「泣かせるつもりはありません」
彼の言葉に、紗月は胸がきゅっと縮む心地を覚える。
契約、義務、形式――それらの言葉とは裏腹な、不器用な優しさ。
なぜこの男(ひと)は、契約関係の相手を、そんなふうに気遣うのだろう。
足をさらに進め、怜司がすぐ前に立つ。
指先が、そっと紗月の顎に触れた。強引さはない。けれど、逃げ道もないような触れ方。
「目を、閉じてください」
言われるまま目を閉じると、近い距離で息遣いを感じた。
――そして、唇が触れた。
慎重に確かめるような、ごく浅い口づけ。
それだけで、胸の奥が熱を帯びる。
触れられているのは唇だけなのに、身体の内側にじわじわと火が灯っていくような感覚があった。
怜司が唇を離し、ささやくように尋ねる。
「……大丈夫ですか」
その問いが、やけに優しい。
紗月は小さくうなずき、かすれた声で応じる。
「……はい」
答えた瞬間、再び顔が近づいてきた。
次のキスは少しだけ深くなった。
唇をなぞるように、さらに慎重に。
舌先が触れるか触れないかの境界で、怜司は何度も止まる。
止まるたび、紗月の身体はかえって敏感になった。
――触れられるより、触れられる前の予感の方が、熱い。
肩に触れる手が、ゆっくりと布越しに輪郭をたどり始める。
指が滑っていくごとに、紗月の背筋が震えた。
逃げたい衝動をこらえながらも、拒みたくない、と確かに思った。
自分の中にそんな欲があることが、紗月の戸惑いをさらに深くする。
パジャマのボタンに指がかけられ、ひとつずつ、外されていく。
服を脱がされ、肌があらわにされるごとに、身体が緊張でこわばる。
そのつど怜司の動きは止まり、必ず、そっと視線を合わせてくる。
「嫌なら、いつでも言ってください」
言葉を落とされるたび、紗月の胸の奥がほどけていく。
義務として始まった行為なのに、少しずつ、自分が選んだ行為になっていく。
怜司の唇が首元に触れ、鎖骨をたどった。
熱い吐息が皮膚に落ちるだけで、紗月の身体の芯が震える。
息を殺そうとして、逆に吐息が、声とともに漏れた。
「……ぁ」
自分の声がひどく甘く聞こえて、頬が熱くなる。
恥ずかしさに身を縮めると、怜司がまた、動きを止めた。
「痛いですか」
「ち、違います……」
言いながら、紗月は自分がどこに手を置けばいいかわからなくなる。
逃げたいのに、逃げたくない。
触れられることが怖いのに、触れてほしい。
相反する感情に戸惑いながら、紗月は思いを吐き出す先を探した。
「……どうして」
声がこぼれる。
怜司が顔を上げ、目が合う。暗がりの中でも、瞳の奥が静かに揺れているのがわかった。
「どうして、そんなに……」
喉の渇きを感じながら、紗月は言葉をたぐり寄せる。
「優しいんですか」
一瞬の沈黙。
怜司は答える前に、唇を結び直した。
「慣れていないだけです」
それは逃げにも聞こえた。
だが、紗月は「慣れていない」という言葉に、別の意味があると直感する。
慣れていないのは、身体を重ねることではなく、誰かを傷つけないように触れること――そんなふうに。
怜司の手が紗月の指先を取って、そっと自分の肩へ導いた。
「触れていいから」
低い声。
許可の言葉なのに、なぜか胸が苦しい。
触れていい、と言われて初めて気づく。
自分はずっと、触れる側になることを怖がっていた。
触れたら、相手の心を縛ってしまいそうで――触れることに慣れたら、また飽きられそうで。
紗月はおそるおそる、怜司の背に腕を回す。
硬い筋肉の熱が、手のひらにじわりと伝わる。
そう思った瞬間、怜司の息が深くなった。
「っ……」
抑えていたものが、少しだけ外れた気配。
怜司の動きがほんのわずかだけ、強くなる。指が肩の線をたどり、唇が胸の膨らみを這う。
荒っぽくはない。けれど、欲を隠すための抑制が、薄くなったように感じた。
唇が、胸の先端にたどり着き、色づく実を口に含んだ。
「……っ、んぅ」
吐息の熱、温もりのあるざらりと湿った感触に、声が漏れる。乳首を優しく、それでいてねぶるように舐められ、数年ぶりに感じる刺激に紗月は首を反らせた。
「あぁっ……」
紗月の反応と同時に、もう片方の胸が、大きな手のひらに包まれる。丁寧な仕草で形を変えられながら、ゆっくりと揉まれていく。
――こんなふうに触れられるなんて、思いもしなかった。
契約で、たとえ義務感のともなう行為であっても、欲望が混じらないわけではないはず。
元婚約者は、紗月を抱く時、どちらかといえば自分本位だった。彼しか知らなかったから、男性はそういうものだと思っていた。けれど。
怜司の触れ方には、気遣いが含まれている。
乳房を揉む手も、乳首を舐める舌も、確かな熱を宿しながらも優しい。
胸への愛撫を続けながら、片方の手のひらが、脇腹をたどって下腹部へとおりていく。
脚の隙間に差し込まれ、下着越しにそっと触れられた。
「……あ」
反射的に身体が震える。同時に内側が熱くなり、じわりとあふれるのがわかった。
「濡れていますね。……経験は」
「――ひとりだけ」
「そうですか」
応じた怜司の手が、再び動き始める。
ショーツの隙間から指が入り込み、割れ目をなぞられた。その拍子にかすられた花芽が、身構えていたにもかかわらず予想以上の刺激を拾って、紗月は呻く。
「んんっ」
「感じる?」
ふるふると、恥ずかしさで紗月は首を横に振った。だが本音は伝わってしまっているようで、赤く膨らみ始めた尖りが、長い指で集中的に責められてくる。
「あっ、あ、あぁっ」
声が飛び出すのを抑えられない。それほどに、与えられる感覚が気持ち良くてたまらなかった。
快感が身体を駆け抜けるたび、とろり、とろりと蜜があふれていく。追い詰められていくような感覚に、紗月は再度首を振りながら訴えた。
「だ、だめ」
「何が?」
「っ、ぅ、んあぁっ」
敏感な箇所を刺激され続けて、溜まる快楽で腰が重くなり、熱くなっていく。
じんじんと疼く花芽が、爪でカリカリと引っかかれ、きゅっと摘ままれた。
「あぁぁ……!」
鮮烈な快感が爆発し、突き抜けるように全身に広がる。ぴんと張った手足から、数秒の後、徐々に力が抜けていく。
「イケた?」
「……い、け?」
「達したってこと……だけど、もしかして、初めてですか」
まだぼんやりした頭のまま、紗月は頼りない仕草でうなずく。
怜司の言う通り、達するという感覚は今、初めて経験した。元婚約者との行為で、こんなふうに、限界まで気持ち良くなった覚えはなかったのだ。
「そうですか」
何かを察したように、彼は淡く微笑む。手を動かし、紗月の頬を、頭をそっと撫でた。
それから彼は、服をすべて脱ぎ、何かを装着する仕草をする。
身体が重なり合う直前、それまでの感情が突然あふれるかのように、紗月の目からぽろりと涙が落ちた。
「……っ……」
怜司が動きを止め、ささやくように問う。
「……やっぱり、最後までは嫌ですか」
声がわずかに、苦しげにかすれている。
紗月は思わず感じた申し訳なさに、焦った。
「すみません」
「謝らないでいい」
ささやきとともに、涙を拭う指先が、ひどく優しい。
優しくされると、もっと涙が出る。
自分がどれほど不安を抱え、どれほど無理をしてきたのかを、急に理解してしまったようだった。
「これは契約です」
怜司が言う。
その言葉が、胸に冷たい感触を与える。
けれど、続く言葉は予想とは違った。
「だからと言って、君を傷つけていい理由にはならない」
その一言で、胸の内にある何かが崩れた。
紗月は衝動的に、怜司の背に回した腕に力を込める。
縋るつもりではなかった。ただ、自分がここにいると伝えたかった。
選ばれたくて、選びたくて――今この瞬間だけは、離れたくなくて。
「……大丈夫」
怜司が低く、優しい声音で宣言した。
そして、ゆっくりと――紗月の中へ、彼の熱が入り込む。
数年ぶりの行為による痛みは、確かに少し感じた。
だがそれ以上に、身体の奥が熱く、切なく、満たされていく感覚があった。
互いの境界が曖昧になるごとに、心が追いつかなくなっていく。
――泣きたいのに、笑いたい。
――怖いのに、嬉しい。
怜司は急がない。
紗月の息が整うのを待ち、何度も「大丈夫か」と目で問いかける。
そのたびに紗月は小さくうなずき、指先で怜司の背を撫でた。
触れ返すたびに、怜司の呼吸が、そして動きが深くなる。
それが、たまらなく胸を締めつけた。
――自分の反応が、この男(ひと)を縛ってしまうのではないか。
そう危惧しながらも、身体の奥に与えられる熱を、離せない。
やがて、紗月の身体の奥が甘い快楽で痺れ、思わず声が漏れる。
「……、あ、あぁ」
その、ねだるような響きが恥ずかしくて口を押さえようとした瞬間、怜司が手首を取った。
「隠さなくていい」
低くかすれた断言に、紗月の心と身体が、さらに熱くなる。
全身に甘い波紋が繰り返し広がり、視界が何度もにじむ。
「あ、あっ……あぁ……」
漏れる声が、やけに甘さを帯びていて恥ずかしい。けれど、止められなかった。
昇りつめる瞬間、怜司が短く息を呑み、紗月の耳に唇を寄せた。
「紗月……」
吐息とともに発された名前。
妻でも、契約相手でもない。自分だけの、名前。
その呼び方が、胸の奥を深く震わせる。直後、再び身体の芯で感覚が弾け、爆風のように一気に快感が広がった。
「あぁぁぁっ…………!!」


