
嫌われていたので離縁するはずが、公爵様から20年越しの最愛を乞われました
著者:智江千佳子
イラスト:逆月酒乱
発売日:2025年 1月24日
定価:630円+税
頭脳明晰で眉目秀麗、そして誰にでも分け隔てなく親切な、若き公爵エリオット。
そんな彼が、姿を見ただけで美しい顔を歪めるほど苦手な人物――それが彼の婚約者であり、本日妻となったアメリアである。
幼い頃は仲睦まじく過ごしてきた2人だったが、両親が亡くなり、養父に監禁されるという困難を乗り越えたアメリアがエリオットと再会する頃には、彼は彼女に冷たい瞳を向けるようになっていた。
親が決めた婚約だからと契約を破棄することなく今日を迎えてしまったエリオットを解放するため、アメリアは彼に離縁を申し出るも、エリオットはアメリアに無理やりキスをし身体を暴こうとしてきて!?
必死に抵抗するアメリア。しかし、次に口を開いたエリオットは、まるでかつての、アメリアを慈しむ優しいエリオットそのもので……?
「アメリア、ごめん。こんなに君に嫌われているのに。俺は今、ようやく君に触れられたことを喜んでいる」
呆然とするアメリアに、態度が急変した彼が語った出来事は、アメリアをさらに困惑させるものだった――。
【人物紹介】
アメリア・フレーゲル
オーウェンズ家の一人娘だったが、両親が亡くなり強欲な養父に引き取られて以来軟禁されていた。
内気でおっとりしている一方、冒険譚に興味津々になるなど、好奇心旺盛なところもある。
幼い頃からの婚約者だったエリオットを健気に想っているが、彼からの数々の暴言によりエリオットに対して恐怖心を抱くようになってしまった。
養父家では唯一自分を気遣ってくれた兄に懐いている。
エリオット・フレーゲル
若くして公爵の地位を継いだ才色兼備な美青年。
アメリア曰く、「おおよそ人間の素晴らしさを讃える言葉はすべてが彼のために用意されたもの」。
アメリアへは冷たい言葉しか吐かず、彼女を嫌悪しているかのような態度をとるが、実はとある呪いにかかっていて……?
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【試し読み】
この頃、私はとうにエリオットに声をかけることを諦めており、遠くから聞こえてくる彼の柔らかく温かな声音をこっそりと聞くばかりだった。彼は誰にでも優しい。しかしその『誰にでも』の中に、私は含まれない。
「……何をしている」
――私が間近で聞くのは、いつも凍てつく冬の風のような冷たい音色ばかりだ。
突如としてかけられた声に顔を上げ、言葉を失う。エリオットの冴え冴えとした怜悧な瞳は、私ではなく、私に話しかけてきていた男子生徒へと向けられている。問いかけられた相手が自分ではないとわかっても、無意識に震えだす体を止めることができなかった。
エリオットと昔のように言葉を交わすことがなくなってから、彼の声を間近で聞くのはいつもこうして男子生徒に揶揄われている時だった。しかし決して、これが私への好意の気持ちから行われている行動ではないことを、この学園生活で嫌というほど理解している。
「あ、ああ、いや。オーウェンズさんに呼び止められてね。なに、たいしたことはないよ」
明らかな嘘を吐いた男子生徒は、心なしか額に汗を浮かべているようだ。対して男と対峙するエリオットの碧眼は暗い色が差しているように見える。美しい人は、ただ無感情に見つめているだけで背筋が冷たく感じられるほどの威圧感を滲ませるのだ。
エリオットは瞬く間に私と男の間に立った。広い背中が私の視界いっぱいに広がる。
――春の太陽の匂い。
柔らかく香る匂いに胸が締め付けられる。遠い昔よく慣れ親しんだ香りだ。いつもその匂いと同じ柔らかな眼差しを向けてくれていた。しかし彼は今、少しも私に目を向けようとしない。
「そうか。それはすまない。彼女は俺の婚約者なんだ。手間をかけさせたね。あとで礼を送るよ」
「べ、別にそんな、必要ないさ。君の婚約者なら、僕も恩を感じるよ」
婚約者という言葉が、これほど滑稽に感じられたことはない。
「じゃ、じゃあ、僕はあっちに行くから。フレーゲル、また今度な」
「ああ、また。気をつけて」
軽快な会話が進み、少し前まで私に暴言を吐いていた男の背中が遠ざかっていく。今ならその背中に縋れてしまいそうだ。そう、本気で思ってしまうくらい、重々しい空気が流れていた。
彼は私を思う気持ちからこの行動を繰り返しているわけではない。その証拠に、彼はいつも私に声をかけることなくこの場を去ってしまう。
それでも、唯一彼を近くで見られるこの瞬間を、私はいつも大切にしていた。
「助けてくださって……あ、りがとう、ございます」
私の言葉に返事がないことは知っている。振り向きもしないことを予測していながら、丁寧に頭を下げた。
エリオットは王立学校で衝撃的な再会を果たしてからも決してオーウェンズ家に婚約の解消を求めてくることがなかった。なぜ行動を起こさないのか、少しも彼の気持ちが理解できない。だが、わからないからまだ縋っていてもいいのだと、浅ましくも思い込んでいた。しかし、彼の卒業を間近に控えたこの日、とうとうこの汚い心に、釘を刺される。
俯いた視界の中で、綺麗に磨き上げられた革靴の爪先がこちらを向いた。一瞬で心臓が熱くなり、次の言葉を聞いた途端、全身が凍りつく。
「勘違いをするなよ。俺はお前の亡き両親との誓いがために、お前との婚約関係を続けているだけだ」
「ち、かい、のため……」
吐き捨てる彼の顔を見ることはできなかった。頭の中で彼の言葉が蠢き、何度も反芻する。
――ただ、私の父と母への義理立てのためだけの結婚。
顔を上げることもできずに唇を強くかみしめながら、静かに頷いた。なぜこれほどまでに嫌われてしまったのか、なぜ手紙に一言でも返事をくれないのか。とうとう問うことはできなかった。しかし、意味など必要もない。ただ、どうしようもなく嫌悪されてしまっただけだ。彼は先代の誓いのために、仕方なく私との婚約関係を継続している。心などない。そこには義理があるだけだ。
そうとも知らず、こうして助けられるたびに私は身勝手な期待を胸に抱いていた。
――惨めでばかばかしくて、どうしようもない。
涙が滲んで、今にも零れ落ちてしまいそうだ。だが間違ってもそれを、彼に見せてはならない。優しい彼は、私が泣くといつも頬を撫でて抱きしめてくれた。もう二度とそんな彼には出会えないのだと知るのが恐ろしくてたまらなかった。
「わかって、います……」
「また泣くのか? 面倒だな」
凍てつく言葉に、とどめを差されたような思いがした。
彼は私を愛さない。そもそも私を嫌っている。なぜだとか、理由を考えるのは無駄なことだ。無数の針が刺さった胸を強く握りしめて、無礼だとわかっていながら、言葉を返すことなくその場から駆け出した。
彼はただ私の両親に義理を感じて、そのために義務的に私を娶ろうとしているだけだ。そこに何の意味があるだろう。
彼を思うならば、このようなばかばかしい約束などなくしてしまうべきだ。だが、私には何の力もなく、養父の意志を変えることもできない。
――それならば、一度結婚して、その日のうちに離縁をしてしまえばいい。
彼の経歴には傷がついてしまうかもしれないが、彼ほど魅力にあふれる男性の前に、気色の悪い女との結婚歴など、彼を擁護する悲劇のスパイスにしかならないはずだ。婚姻を結んだその日、私は公爵家の屋敷を出る。そう決めて、息を殺しながら時が過ぎるのを待った。
エリオットが卒業をしてからも心無い中傷は続いて、それを聞くたびに兄は顔を顰めて私を慰めてくれた。私が不毛な恋心と折り合いをつけようとしている間、兄はエリオットと同じ年に王立学校を卒業し、ついにオーウェンズ家の実権を握って領民に慕われる領主となっていた。
「リア、君が望むなら、いつまでもここにいればいい」
「ふふ、ありがとう。お兄様。でもそれじゃあお兄様の未来の奥様が困っちゃうわ」
エリオットは私が王立学校を卒業した年の夏、公爵の座に着いた。それからしばらくして、これまで音沙汰のなかった公爵家から先触れがきて、息つく間もなくエリオット本人が訪問してきた。
「古い約束を果たしにきた」
応接の間で兄に向かって淡々と語るエリオットは私には一瞥もくれず、しかし決してその姿勢を崩すこともない。伯爵家が公爵家の要請に首を横に振ることができるはずもなく、最後まで兄は異を唱えていたが、結局私は亡き両親の願いを叶える形でフレーゲル公爵家に嫁ぎ、彼の花嫁となった。
決して私を思って結婚したわけではないことをよく理解している。ゆえに最も短い略式で行われた式にも、疑問を抱くことはなかった。兄は最後まで美しい顔を顰めて「つらくなったら言ってほしい。いつでも助けに行くよ」と言っていたが、兄を頼るつもりはない。
エリオットに離縁を申し込んだらその足で都に向かい、住み込みで針子の仕事をする。王立学校では針仕事と美術の授業では頗るよい評価を得ることができたのだ。卒業証明書を見せれば、どこかで働けるはずだ。労働がどれほど苦しかろうが、好きな人を苦しめてまでそばにいるよりはずっといい。――そう、思っていたのに。
* * *
「お前のことなど、嫌いだ。虫唾が走る」
――なぜ、このようなことが起こっているのだろうか。
今日伴侶となったエリオット・フレーゲルは、私のことを忌み嫌っている。目が合うだけで普段の彼がおおよそ口にしなさそうな言葉を吐かれるほどだ。
「っ、ぁ、……っ、や、やめ」
「俺の近くに寄るな」
近くに寄るなと言いながら彼の左手は私の両腕を一纏めにして拘束し、もう一方の手で私の胸の中心で結ばれたネグリジェのリボンを解いている。その手が時折輪郭を確かめるように私の肌を撫で、優しく胸のふくらみに触れた。
「なっ、ひぁ……っ! な、に……っ、ぁ……っ」
なぜこのような事態になっているのかまったくわからないまま、ただ彼の熱い手に触れられ、おかしな声が出てしまう。上ずった自分の声があまりにも恥ずかしくて、唇を噛んで顔を背けた。
「嫌いだ。……お前のことなど……っ、く」
耳殻に熱い吐息が触れる。その熱とは裏腹な冷たい言葉に胸を突き刺され、逃げ出そうと体を捩っても彼の手に押さえつけられるだけだ。視界に映る彼のブルーの瞳は燃えるように熱く、彼も私と同じように強く唇を噛んで、何かを堪えているようだった。まざまざと見せつけられるその瞳には、私が想像していたような侮蔑の色などない。思えば、一度だって彼に冷たい言葉を吐かれる間、私は彼の瞳を見たことがなかった。
なぜこのような苦しそうな瞳をしているのか。
「ど、して……っ、あっんんっ……!」
混乱するまま真意を問おうとしても、その隙に胸の飾りを強く擦られ、意識をそらされる。未知なる感覚にまたしても子猫のような甘ったるい声が出て、慌てて口をつぐんだ。――こんなの、エリオット様には見せたくないのに。
見られたくなくともエリオットは瞬きさえ惜しむかのように私を見つめ、私が反応するたびにその目を熱くさせて、ますます熱心に私の胸のふくらみに触れた。
どうしてこれほどまでに全身が熱くなるのかわからない。エリオットに見つめられるだけで、腹の奥がじんじんと熱く疼いて落ち着かない気分にさせられる。そわそわと動きそうになる腰を隠そうと意識を集中させていると、エリオットにあごを掴まれ、まっすぐに視線を合わせられた。
「エリオット、さ、ま」
「……っ、」
強くかみしめた彼の唇に血が滲んでいる。
――まさか、自分を傷つけてまで、私と夫婦になろうとしているの?
快楽に溺れかけていた体に冷や水を浴びせられるような心地で目が覚める。エリオットは相変わらずただじっと私を見下ろしていて、何を考えているのかなど、到底わからない。
――エリオット様を、この結婚から解放して差し上げるのだと、決めたじゃない。
幼い頃彼は私の王子様で、彼がいたから私は希望を失わずに生き続けることができた。それなら今度は私が彼のために、少しでもできることをするべきだ。
「こんな、こと、……誰も、望んでいません」
自分の声がこれほどまでに情けなく聞こえたことはない。か細い声はあまりにも頼りなく、彼に届いている確信はなかった。しかし、次の行動で彼の答えはすぐに知らされた。
「っ、……だめっ、んあああっ……!?」
エリオットは獰猛な獣のような目で私を見下ろし、その顔を私の胸元へと寄せた。その意味がわからず気恥ずかしさに顔をそらし、胸の頂に触れる湿った熱の感触に耐えることができずはしたなく啼いた。
「あ、っ、やっ……、あぅ、っ、離、し……っ、あんっ」
赤子がミルクを吸うためにあるものだと認識していたところに、彼が顔を寄せて舌を伸ばしている。その熱にねっとりと舐められると、ますます下腹部に熱が滞留するようでどうにかなってしまいそうだ。混乱して逃げ出そうとしても彼の手が私をベッドに縫い付けて決して離してくれない。
「あっ、ぁっ、ああっ、や……っ、ああっ」
一方を厭らしく舐められ、もう一方の頂を執拗に爪先で弄られる。絶え間なく与えられる淫靡な刺激に首を振って抗おうとしても、結局深みに嵌ってしまうだけだ。
熱い視界の中心で、エリオットはただまっすぐに私を見下ろし、私の反応を見ながらまろい膨らみを柔らかく揉みしだく。そこが快楽を拾う器官であることを知らしめるような視線に、堪えきれず瞼を強く瞑った。
暗い視界の中、間近に誰かが迫ってくるのを感じる。それを避けようと顔をそらして、左耳に直に触れる彼の荒い吐息に驚く間もなく耳に湿った熱が触れた。
「っ、ひぅ……っ、んんっ」
耳の中に直接淫靡な音が流し込まれる。同時に彼の節くれ立った指先が腹を撫でてゆっくりと下に降りていき、明確な意思を持って誰にも触れられたことのない秘所に触れた。
「っ~~~~~~!?」
耳の中からも、熱く疼く秘所からも、ぐちぐちと淫猥な水音が聞こえてくる。これをあの清廉潔白な貴公子であるエリオットが行っているとは到底信じられず、恐る恐る目を開いてしまった。
「ど、……っし、て……っ、ひあああっ」
目の前には、ガウンの結び目が解け、美しい肉体を晒しだしたエリオットだけが存在している。彼は私が震える唇でその名をつぶやくと、ぴたりと耳を犯すのをやめて私を正面から見下ろした。指先は耐えず秘所に隠された突起を撫でるように擦っている。
ぐちゅぐちゅと聞いたこともないような粘性の音とともに奏でられる耐え難い快楽の渦に全身を絡めとられ、何一つ考えがまとまらない。
「あっ、ああっ……! だめっ、……ぁ、やああっ……!」
ぱちぱちと視界が弾けるような激しい刺激に翻弄され、わけもわからずにエリオットにしがみつく。その瞬間、彼がわずかに息を呑んだ音が聞こえた。
「っ、……」
しかしそれを確認する間もなく彼の手が突起を弄びながら蜜口の中に侵入し、息つく間もなく長い指先で膣壁をなぞるように引っ掻かれる。
彼の体は私と同じようにひどく発熱していた。汗ばんだ体に縋りつき、未知の快楽に染め上げられる。しとどに濡れ光る中とぷっくりと立ち上がった秘肉を苛め抜かれた体は、耐える術もなくあっけなく高みに上り詰めさせられ、まるで全身が感電してしまったかのように制御不能になった。
「ん、ひあああっ、あっんっ、……ッあああああっ!?」
私の意志とは無関係に全身がぴんと張りつめ、蜜口はひくひくと蠢いてエリオットの指先を食いちぎってしまいそうなほどきつく締め付けていた。耳元に心臓が押し付けられたかのように心音がうるさく、呆然と目の前の男を見上げることしかできない。
エリオットは、私がわけもわからずに絶頂に上り詰める姿を見て、ようやくその手を止めた。いや違う。正確には私の目元を見て、手を止めたのだ。彼のブルーの瞳が見開かれている。その反応を見てやっと私は己の目から涙がこぼれ出ていることに気付いた。
彼は今年、二十八歳になった。私と出会ってから二十年を経た彼はあの日の幼い彼とは違い、大人の男になっている。わざわざ嫌いな女などの相手をしなくとも、喜んでエリオットに体を差し出す女性がいくらでも存在するだろう。それなのになぜ彼は、嫌悪感に唇を噛んでまで私と夫婦になろうとするのか。――エリオット様はただ、私の父と母の願いを叶えようとしているだけ。
どれほど嫌悪していても、彼は私を怯えさせようとはしていないことがわかる。彼は常に私の反応を窺って、決して私が痛がるようなことはしていない。彼の手つきも、幼い頃と同じようにまるで繊細なガラス細工に触れるような優しさだ。彼はどのような相手にも分け隔てなく優しい。それが己にだけ適応されなくなってしまったのだと思っていた。だが、それは間違いだ。
彼は私を嫌っている。虫唾が走るほどに私を嫌悪しているのだ。それなのに、最大限私を妻として配慮しようとしている。もう十年以上も嫌っている相手に対して、だ。
――どうしてこんなにも優しい人に、私は嫌われてしまったのだろう。
もう二度と考えないと決めていたことに思考が及んで、みるみるうちに目元が熱くなる。彼の前では涙を流さないと決めたはずなのに、堪えることができず、さらに熱い涙が頬を伝った。
私を見下ろすエリオットの目にわかりやすく動揺の色が灯る。
「ご、ごめんなさい。……っ、見ないで、すぐに、……すぐに、どうにかします、から」
慌てて頬を拭って、狼狽えるエリオットを押しのけるようにしてその場に座り込んだ。俯いて涙を隠す私に向かって、大きな手が伸びてくる。
私にはどうしてか、その手があの日のように私を慰めようとしているような気がしてならなかった。その優しさが苦しい。離れる決心が揺らいでしまいそうになるのだ。
だからこそ、おずおずと伸ばされたその手を振り払った。
「……出ていきます」
「……っ」
「今日のことは、忘れます、から。顔を見るのも嫌な女のことなど、……お忘れになって、ください」
たどたどしく喋りながら、どうにか寝台の上を移動して寝台の下に足を下ろす。すっかり乱れきったネグリジェを直しながら立ち上がろうとして、かくりと足から力が抜けた。
「あっ……」
そのまま倒れ込むはずだった体は、目にも止まらぬ速さで熱い腕に抱きかかえられていた。
「俺に近寄るな」
耳元に吐き捨てられる言葉で、とうとう涙が止まらなくなった。嫌われていることは知っている。十年も心の整理をつける時間があったのだ。いまさら傷つかない。そう思い込んでいた。いや、ただ思い込もうとしていただけなのかもしれない。
「っ、だから、もう出て……っ」
もう二度とエリオットの近くには現れない。そう強く誓って逃げ出そうとした体は、私の意志とは正反対に彼に向き直っていた。エリオットは身長百八十センチを超える大柄な男性で、身長が伸び悩んだ私が力勝負で勝てるはずもない。目にも止まらぬ速さで後ろに向き直されたのだ。
「っ……やだ……っ、」
不細工な泣き顔を晒すのが嫌で精一杯視線を逸らすつもりが間髪をいれずに顔を上げさせられる。
「っ、……離し、っんん……!」
力一杯抵抗しようとしたその時、苦しみを湛えた瞳のエリオットに予告なく口づけられ、目を見張った。
「っ、……んぅ……っ、ふ、ぁ……っ」
少しも手加減することなくぴったりと体を密着させられ、食むようにして唇を啄まれる。それでも固く唇を引き結んでいると、ぺろりと唇を舐められ、動揺して薄く口を開いてしまった。
「っ、んんん~~~っ!」
首の裏を押さえつけられ、角度を変えながら口づけられる。彼の舌が強引に口を割り開くと、ろくな抵抗もできない。空いた手で体を引きはがそうとしてもぴくりとも動かず、ますます体を引き寄せられた。歯列をねっとりとなぞった舌が、私の舌を吸って口内を自在に蹂躙する。
情熱をぶつけるような熱い口づけに酔ってとうとう全身から力が抜ける。彼は口づけながら私を寝台の上に戻して、少し前と同じように腰に跨りながら私を押し倒した。
「っ……、ふ、ぁ……っ、だ……だめ、っ」
うまく息継ぎができずに生理的な涙を浮かべながら力の入らない手で彼の胸板を押し返す。
その時、ふと頬に熱い水滴が落ちた。
「……え?」
それが何か、思考するよりも先に彼の手に抱きしめられ、耳元に彼の吐息が触れる。
彼は恋人に囁くように冷たい言葉を浴びせる。今回もまたそれがくるのだと身構え――、彼の言葉にすべての動きを止めた。
「アメリア、ごめん。こんなに君に嫌われているのに。俺は今、ようやく君に触れられたことを喜んでいる」
それはまるで、長年の報われない恋心に傷ついて打ちひしがれる者のような悲壮感漂う声音だった。
――あれは、エリオット様の涙?
その言葉でようやく、少し前に私の頬に触れた熱い水滴が何だったのかわかってしまった。
「な、……にを……?」
何が起こっているのか、少しもわからない。都合のいい夢を見せられているような気分でつぶやくと、今度は勢いよくエリオットに抱き起され、正面に彼の美しい顔が現れた。彼の睫毛に涙の粒が引っ掛かっている。しかしそれを霞ませるくらい、彼の目は動揺に揺れていた。大きく瞬くせいで、まつ毛に引っかかっていた涙の粒がぽろりとこぼれ落ちる。しかし彼は、涙を拭うこともせず、呆然と私の顔を見下ろしていた。
「……、……ア、メリア?」
「は、……い」
「アメリア、もしかして、俺の言葉がわかる?」